林 光 編曲 「日本叙情歌曲集」より
(BGMとしてお耳に達していますのは「曼珠沙華」のMIDI音です)
♪ ゴンシャンゴンシャン 何処へ行く 赤い、御墓の曼珠沙華《ひがんばな》 曼珠沙華 きょうも手折に来たわいな♪ |
・箱根八里 (
鳥居 忱 詩 滝 廉太郎 曲 )
― 箱根の山は 天下の険 函谷関も 物ならず
万丈の山 千仭の谷 前に聳え 後に支う
雲は山をめぐり 霧は谷をとざす 昼猶暗き 杉の並木
羊腸の小径は 苔滑か
・野の羊 ( 大木惇夫 詩 服部 正 曲 )
― 野っぱらはいいな いつ来てみてもいいな
おや 羊がいるな 放ち飼いだな
・曼珠沙華(ひがんばな)( 北原白秋 詩 山田耕筰 曲 )
― ゴンシャンゴンシャン 何処へゆく
赤い、御墓の曼珠沙華(ひがんばな) 曼珠沙華
きょうも 手折りに来たわいな
・待ちぼうけ ( 北原白秋 詩 山田耕筰 曲 )
― 待ちぼうけ 待ちぼうけ ある日せっせと野良稼ぎ
そこへうさぎが 飛んで出て コロリころげた 木の根っこ
コロリころげた 木の根っこ
・浜辺の歌 ( 林 古渓 詩 成田為三 曲 )
― あした浜辺をさまよえば 昔のことぞ忍ばるる
風の音よ 雲のさまよ
寄する波も かいの色も
「日本叙情歌曲集」は、当合唱団でも過去に何度か取り上げ、最近では第13回
定期演奏会でも歌いましたが、今回は新しく挑戦する曲もあり、心を新たにして
歌います。
どの歌も皆さん好くご存知の歌ばかりですが、林 光の編曲の素晴らしさ
を聴いて頂きたいと思います。 下記に編曲者の略歴と、編曲者自身の言葉
を紹介します。
《 林 光の略歴 》
1931年東京生まれ。 尾高尚忠、池内友次郎に師事。 1953年東京芸術大学
作曲科中退。 芸術祭賞(1953)、尾高賞(1956、1996)、毎日映画コンクール音楽
賞(1960、1983)、モスクワ映画祭作曲賞(1961)などを受賞。
主な作品:「原爆小景」1958/71、 オペラ「セロ弾きのゴーシュ」、「第三交響曲
<八月の正午に太陽は>」1990、「ヴィオラ協奏曲<悲歌>」1995、
オペラ「我輩は猫である」1998、 合唱曲「ヴィヨン 笑う中世」1997など
《「日本の抒情歌」に寄せて − 林 光 (ヴィクター盤CD「日本合唱曲全集」林 光作品集2より採録)》
『 シューベルトの歌がすばらしいのは、その時代を代表する芸術歌曲でありながら、
同時に愛唱歌=流行歌でもあり得たことだ。シューマンになると、これはもう芸術的
すぎて流行歌ないはなれない。 そういえば、日本でも似たようなことがあるなァ、
「荒城の月」とか「からたちの花」とか、とまあこんな雑談を、あるとき岩城宏之、
田中信昭というふたりの指揮者とかわしたのが、この“歌集”のきっかけになった。
田中はまた、以前から、これら「初期の作曲家」たちの音楽を合唱でやりたいのだが、
その作曲家たちに、合唱曲の良いのがあまりない、と考えていたし、ぼくはぼくで
従来この種の愛唱歌にもとづいた合唱曲というのが、編曲にやたらとくふうをこらし
たり、しかもそのくふうというのが、原曲がもっている要素をひき出しふくらますという
より、「合唱音楽らしさ」を単純素朴な原曲にむりやり押しつけているようなものが
多いことに疑問をいだいていて、そういった感想が、ごく自然に合流して岩城が
やろうと言い、きまった。
いざとなると、しかしその条件に合う歌曲が、そうごろごろころがっているわけ
ではない。 冗談ではなく、いちばん苦労したのが選曲で、曲がきまったことで、この
仕事は半分すんだように思えたほどだ。
編曲については、すでにふれたとおり、原曲がもっている要素を、無理しないで
ふくらませることにとどめる、というやりかたをしたつもりだ。 そのさい、原曲の音の
組みたてにしたがたものと、旋律だけを生かして自由にあつかったものとがある。
またピアノパートは、伴奏というより協奏にちかく、それがこの歌曲集のひとつの
特徴といっていいかもしれない。
この編曲は、ぼくが敬愛する諸先輩たちに、いくらかの批判をこめつつ捧げる
オマージュだ。 』