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武満 徹 作曲 「うた」より(曲順不同)

BGMとしてお聞きになっているのは「うたうだけ」のMIDI音です。


 

・ 死んだ男の残したものは     谷川俊太郎詩
  
(1965年4月22日の「ヴェトナムの平和を願う市民の集会」で初演された。) 

・ 恋のかくれんぼ           谷川俊太郎詩
 
(映画「斑女」〈1961年 中村登監督 岡田茉莉子主演>の主題歌)

・ うたうだけ              谷川俊太郎詩
 
(1960年にジャズバンド、1981年に混声合唱に編曲されている曲)

・ 見えないこども           谷川俊太郎詩
   (映画「彼女と彼」<1963年 羽仁進監督 左幸子主演>の主題歌)


 私達の合唱団は、2001年(平成13年)10月6日に開催した

第12回定期演奏会で、武満 徹作曲の「うた」より6曲を既に

演奏しており、爾来、その中の「小さな空」は色々な演奏会

のアンコール曲として歌い続けて来ました。 また他の5曲も

謂わば私達の愛唱歌となって居ります。

 今回は、前回には歌っていない曲にも挑戦して、武満の

合唱作品の素晴らしさを皆さんにもお聴き頂きたいし、自分

達も楽しみたいと思っています。

  武満徹の略歴を簡潔に書くのは、その活動の多岐に渉る

ことから至難の業で、どうしても長くなりますが下記に

トライして見ます:
 

  1930年10月8日、東京に生まれる。 生後1ヶ月で大連に

渡るが、小学校入学のため帰国。 戦争たけなわの

1943年に京華中学に入学。戦争末期に勤労動員先で

聴いたシャンソン「聴かせてよ、愛のことばを」に衝撃を

受け、それが後に音楽家を目指す伏線ともなったと

言われる。ほぼ独学で(高校卒業時、東京芸大を受験し

失敗)作曲を勉強し、1950年に「新作曲派協会」に入会、

処女作であるピアノ曲「二つのレント」を発表するが、

「音楽以前である」と酷評を受ける。

  1951年に作曲家湯浅譲二らと共に「実験工房」を結成、

本格的な音楽活動に入る。この頃はメシアンの影響を

受けて無調音楽的な方向を目指す。

  1957年、結核による自らの死を意識して「弦楽のための

レクイエム」を発表。来日中のストラビンスキーから賞賛され、

名声が広がるきっかけとなった。以後名作・話題作を次々と

発表する。この前後から映画・ラジオドラマの音楽を数多く

手掛ける。

  1967年にはバーンスタインの依頼によりニューヨーク・フィル

125周年記念のための琵琶と尺八とオーケストラの構成による

「ノーヴェンバー・ステップス」を作曲。その名声を益々高める

事となった。その後更に「タケミツ・トーン」と呼ばれる独特の

音響を生み出す。

  70年代にはカナダ、フランス、イギリス、オランダで次々に

作品が紹介され、80年代には海外からの委嘱、海外の音楽祭

からの招聘が増える。

  80年には日本芸術院賞、85年にはフランス芸術文化勲章

を受賞。その他数々の賞を受賞する。 

  晩年、それまで手を付けなかったオペラに取り組もうとしたが、

日の目を見ることはなかった。

  1996年2月20日癌のため逝去。享年65歳。

  彼が監修を務め、死後完成した東京オペラシティーの

コンサートホールは、「タケミツ・メモリアル」の名が冠せられた。


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