「 第15回定期演奏会」に戻る

林 光 編曲 「日本叙情歌曲集」より

(BGMとしてお耳に達していますのは「曼珠沙華」のMIDI音です)

 
ゴンシャンゴンシャン 何処へ行く
赤い、御墓の曼珠沙華
ひがんばな
曼珠沙華
きょうも手折に来たわいな

 

 ・箱根八里 ( 鳥居 忱 詩  滝 廉太郎 曲 )

                 ― 箱根の山は 天下の険 函谷関も 物ならず
                    万丈の山 千仭の谷  前に聳え 後に支う
                    雲は山をめぐり 霧は谷をとざす 昼猶暗き 杉の並木
                     羊腸の小径は 苔滑か

 ・野の羊     ( 大木惇夫 詩  服部  正 曲 )                                      

                 ― 野っぱらはいいな いつ来てみてもいいな
                    おや 羊がいるな  放ち飼いだな

 ・曼珠沙華(ひがんばな)( 北原白秋 詩 山田耕筰 曲 )

                     ― ゴンシャンゴンシャン 何処へゆく
                     赤い、御墓の曼珠沙華(ひがんばな) 曼珠沙華
                    きょうも 手折りに来たわいな

  ・待ちぼうけ ( 北原白秋 詩  山田耕筰 曲 )

                                         ― 待ちぼうけ 待ちぼうけ  ある日せっせと野良稼ぎ
                    そこへうさぎが 飛んで出て コロリころげた 木の根っこ
                     コロリころげた 木の根っこ

  浜辺の歌 ( 林 古渓 詩  成田為三 曲 )

                 ― あした浜辺をさまよえば 昔のことぞ忍ばるる
                    風の音よ 雲のさまよ
                    寄する波も かいの色も 

 

 「日本叙情歌曲集」は、当合唱団でも過去に何度か取り上げ、最近では第13回

定期演奏会でも歌いましたが、今回は新しく挑戦する曲もあり、心を新たにして

歌います。

 どの歌も皆さん好くご存知の歌ばかりですが、林 光の編曲の素晴らしさ

を聴いて頂きたいと思います。  下記に編曲者の略歴と、編曲者自身の言葉

を紹介します。
 

《 林 光の略歴 》

  1931年東京生まれ。 尾高尚忠、池内友次郎に師事。 1953年東京芸術大学

作曲科中退。 芸術祭賞(1953)、尾高賞(1956、1996)、毎日映画コンクール音楽

賞(1960、1983)、モスクワ映画祭作曲賞(1961)などを受賞。

 主な作品:「原爆小景」1958/71、 オペラ「セロ弾きのゴーシュ」、「第三交響曲

        <八月の正午に太陽は>」1990、「ヴィオラ協奏曲<悲歌>」1995、

       オペラ「我輩は猫である」1998、 合唱曲「ヴィヨン 笑う中世」1997など

 

《「日本の抒情歌」に寄せて − 林 光 (ヴィクター盤CD「日本合唱曲全集」林 光作品集2より採録)

 『  シューベルトの歌がすばらしいのは、その時代を代表する芸術歌曲でありながら、

同時に愛唱歌=流行歌でもあり得たことだ。シューマンになると、これはもう芸術的

すぎて流行歌ないはなれない。 そういえば、日本でも似たようなことがあるなァ、

「荒城の月」とか「からたちの花」とか、とまあこんな雑談を、あるとき岩城宏之、

田中信昭というふたりの指揮者とかわしたのが、この“歌集”のきっかけになった。 

田中はまた、以前から、これら「初期の作曲家」たちの音楽を合唱でやりたいのだが、

その作曲家たちに、合唱曲の良いのがあまりない、と考えていたし、ぼくはぼくで

従来この種の愛唱歌にもとづいた合唱曲というのが、編曲にやたらとくふうをこらし

たり、しかもそのくふうというのが、原曲がもっている要素をひき出しふくらますという

より、「合唱音楽らしさ」を単純素朴な原曲にむりやり押しつけているようなものが

多いことに疑問をいだいていて、そういった感想が、ごく自然に合流して岩城が

やろうと言い、きまった。

 いざとなると、しかしその条件に合う歌曲が、そうごろごろころがっているわけ

ではない。 冗談ではなく、いちばん苦労したのが選曲で、曲がきまったことで、この

仕事は半分すんだように思えたほどだ。 

 編曲については、すでにふれたとおり、原曲がもっている要素を、無理しないで

ふくらませることにとどめる、というやりかたをしたつもりだ。 そのさい、原曲の音の

組みたてにしたがたものと、旋律だけを生かして自由にあつかったものとがある。

またピアノパートは、伴奏というより協奏にちかく、それがこの歌曲集のひとつの

特徴といっていいかもしれない。

 この編曲は、ぼくが敬愛する諸先輩たちに、いくらかの批判をこめつつ捧げる

オマージュだ。 』


       
「 第15回定期演奏会」に戻る