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(BGMとしてお聴き頂いていますのは第3曲目「Domine Deus」のMIDI音声です)

ソプラノ・ソロ、混声合唱とオーケストラの為の
‶Gloria″   Francis Poulenc 作曲

 

 

  Francis Poulenc

T.Gloria                  Gloria in excelsis Deo et in terra pax hominibus

U.Laudamus te           Laudamus te, Benedicimus te, Adoramus te            

V.Domine Deus         Domine Deus, Rex coelestis, Deus Pater

W.Domine fili unigenite    Domine fili unigenite, Jesu Christe!

X.Dominus Deus, Agnus Dei   Domine Deus, Qui tollis peccata mundi

Y.Qui sedes ad dexteram Patris  Qui sedes ad dexteram Patris,
                                                                                    miserere
nobis



1)プーランクに就いて

 フランシス・プーランクは1899年1月7日、フランス有数の化学工業会社「Rhone-Poulenc」社の

経営者一族としてパリで生まれ、幼少期を裕福な内に守られ、芸術に強い感受性を持った環境で

過ごしました。 

ピアノの名手であった母親が、5歳の時からピアノを教え、彼の為にモーツアルト、シューベルト、

ショパン、シューマンなどを弾いて聞かせ、又、文学、詩、演劇や造形芸術に対する趣味を与え

ました。  9歳にして最初の天啓をドゥビッシーより受け、14歳の時二度目の天啓をストラヴィン

スキーの「春の祭典」より受け、音楽に一生を捧げようと決心しました。

彼の新しいピアノ教師 リッカルド・ヴィニェス(彼は亦ガブリエル・フォーレの教師でもありました)

は、彼を作曲家エリック・サティーに引き合わせました。 ≪私にとってサティーからの影響は

音楽的にも精神的にも大きなものであった。≫  1917年、プーランクは処女作 であるオーケス

トラとバリトンのための声楽曲「黒人狂詩曲」をサティーに捧げ、その初演は熱狂的に迎えられ

ました。 彼は上述のサティーの下に集まった当時の若い作曲家達、ジョルジュ・オーリック、

アルチュール・オネゲル、ダリュウス・ミヨー、ルイ・デュレ、ジェルメーネ・タイユフェールと共に、

「フランス六人組」の一人として名前を連ねる事になります。 その後第一次世界大戦の為、

兵役に従事し音楽活動は中断されます。

第一次大戦後の1921年、プーランクは本格的に作曲法の勉強を始め、その過程で、後に彼の

才能が最も発揮される分野、「合唱」に必要な作曲技法を体得して行きます。幼少の時から

詩に親しんで来た彼は、詩を的確に解し、詩と一体になった音楽を作り上げる稀有な能力を

発揮し、多くの優れた歌曲を作曲します。 彼は特にアポリネールとエリュアールの詩を好み、

幾つもの名歌曲を生み出します。 

 1936年、友人であり同世代のライバルと認めていた作曲家ピエール・オクターヴ・フェールの

交通事故死の報に、一週間で書き上げたというオルガンと児童合唱のための「黒衣の聖母

への連祷」により、彼の宗教曲作品群が始まります。 その直ぐ後の1937年には父へ捧げ

られた「ミサ曲ト長調」が作曲され、1950年には大曲「スタバート・マーテル」(嘆きの聖母)が、

そして今回我々が歌う「グローリア」は1959年に作曲されました。 この間数多くの教会音楽

が作曲されています。

 プーランクは20世紀のモーツァルトと呼ばれる程のメロディー・メーカーとして、オペラ、

合唱曲、歌曲、ピアノ曲、室内楽、協奏曲etc. 数多くの名曲を残している居ますが、

「グローリア」はその中でも彼の音楽の集大成として最も親しまれている名曲です。

 1963年1月30日、心臓発作の為彼は64才の生涯を終えました。 

彼の遺体はパリのペール・ラシェーズの墓地に眠っています。


2)グローリアに就いて(以下はデッカ版CD UCCD-3127に添付の 榊 洋希氏の解説を転載しました)

「プーランクの中には二人の人間が住んでいる。すなわち僧侶と餓鬼大将」 といったのは、

フランスの評論家クロード・ロスタンであるが、これはプーランク音楽の特質を最も鋭く捉えた

言葉ではないだろうか。

彼は六人組の最年少作曲家として華々しくデビューした頃 ―― ≪黒人狂想曲≫ や

 ≪動物詩集≫、そして≪牝鹿≫ ≪田園のコンセール≫ 等は、まさに餓鬼大将であった。 

しかし、この面だけが彼の全てではない。

 1936年≪黒い聖母への連祷≫を書いてからのプーランクは、非常に多くの宗教作品を

残している。 そればかりか、歌劇 ≪カルメル派修道女との対話≫ 等にもその敬虔な

カトリック信者ぶりが顕著に表われているのだ。 その宗教作品の中の最高峰といえる

のが、この ≪グローリア≫ だろう。 1959年に作曲されたソプラノ独唱、混声合唱と

管弦楽のための ≪グローリア≫ はクーセヴィツキー財団からの委嘱作品で、故セルゲイ・

クーセヴィツキー(とナタリー夫人)の思い出に捧げられている。

 初演は1961年1月20日、シャルル・ミンシュ指揮のボストン交響楽団、プロ・ムジカ合唱団と

アデーレ・アディソンのソプラノ独唱によって行なわれた。 この作品の精神は明らかに

アッシジの聖フランシスへの傾倒だが、そのアラベスク風の作風とモダンな手法は、彼の

もう一つの面を表わしている。 

 彼はみずからこの作品についてこういっている。 「わたしはそれを単にクリスマスに

天使が舌を出して歌うカッゾーリのフレスコ画から、またフットボールに興じるのを見る

真面目なベネディクト修道士から着想したのである・・・・」。

≪グローリア≫ に代表される彼の宗教作品は、決して神に近づこうとするものではなく、

どこまでも人間らしく、感傷的なのだ。

 第1曲 : 天使のいと高きところには神に栄光 = 華やかな管弦楽の 前奏に

               つづいて、合唱が歌い出す。 合唱とオーケストラが一体になって、

               堂々と讃美の叫びを表現する。

 第2曲 : われら主をほめ = プーランク特有の洒脱なリズムが全曲を支配し、

               喜ばしい気分を 醸し出す。  

  第3曲 : 神なる主 = 管弦楽に導かれたソプラノ独唱が、厳粛な合唱をバック

               にして歌い出す。 清純な詩情に満ちた曲で、有名なフルート・ソナタの

               第2楽章を思わせるプーランク節だ。

 第4曲 : 主なる御ひとり子 = “餓鬼大将”プーランクが顔を覗かせる。 

               短いながら活力に あふれる曲。

 第5曲 : 神なる主、神の小羊 = 再びソプラノ独唱が加わる。 

               深い神秘をたたえ、最後には 合唱が力強く 「神の小羊 Agnus Dei 」

               と叫び、全曲のクライマックスを迎える。

 第6曲 : 父の右に座したもう主よ = 冒頭から力強く歌い始めるが、

               ソプラノ独唱が 「アーメン Amen 」を静かに歌い出し、敬虔な音楽となり、

               しめやかに曲を閉じる。


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